【中編】私、16歳のCEO。 “相方、斎藤瑠夏の存在”


この記事は、【中編】であり、もし【前編】の「私、16歳のCEO。〜仁禮彩香の歩みと偉大な母〜」を読んでいない方は、そちらを読んでからこの章をお読みください。

第一章では、仁禮彩香さんの過去について深く聞いていった。この章では、仁禮彩香さんの「いま」について。

実は、インタビューの前日に彼女の講演会に出席し、彼女のプレゼンを生で体感してきて、気づいたことがある。それは、彼女の話すことばの主語が、「わたしたち」なのである。なぜ、「私」でなく、「わたしたち」なのだろうか?


──なぜ、主語が I でなく、Weを使っているのですか?

仁禮:グローパスについてプレゼンをするときは、グローパスの仁禮彩香なので、そこには、わたし以外の人たちの想いがあるわけです。

だから、Iでなく、Weを使っています。ただ、理由はそれだけではないんじゃないかなぁ…

ひょっとしたら瑠夏(グローパスCOOの斎藤瑠夏さん。)の存在が、Weを使うことに関係しているのかもしれません。 わたしと瑠夏は幼稚園から一緒で、幼稚園を卒業し、それぞれ違う小学校に行きました。

でも、ふたりの意志で小学校を作りに戻り、そこからSISグレードスクール一期生として入学しました。 一期生は、わたしと瑠夏以外の同い年はいなかったので、ふたりでSISグレードスクールを一緒に作り続けてきたんです。

中学と高校も瑠夏と一緒ですが、お互いに「一緒のところに行こうね」と言っていたわけではないんですよ。 二人が選んだ学校がたまたま一緒だったんです。

女の子は、仲いいひと同士だと、いつも学校で一緒にいて、お昼ご飯も一緒に食べて、学校も一緒に登校して、というイメージが強いと思います。  

でも、わたしたちはそうではなく、ご飯をいつも一緒に食べるわけでもなければ、常にひっついているわけでもない。

ただ、どこに行ってもよく言われるのが「お互いに目で会話してるよね」とか「二人だけが出している空気感があるよね」とか「わたしたちが絶対に踏み入れられない世界をふたりで作るよね」とか。

わたしにとって瑠夏は家族とか友達ではなく、人間のことばにはない存在なんです。

私たちは、「これをしてほしい」とお互いにお願いをすることは、ほとんどないんですよ。

言わなくても分かるというか…

私が「これをしたい!」と言ったときに、瑠夏も「わたしも!」とか、逆に瑠夏が「こういうことしたい」ということに対してわたしも「それ私もしたいと思ってた!」ってなるんですよね。

いつもお互いがなにも言わなくても、なぜか同じ方向を向いているんです。

だから、一緒に同じ場所に向かって進んでいるし、そういう意味では、わたしたち二人でひとつになることがよくあります。

もちろん、瑠夏がいなくちゃ何もできないとか、もし瑠夏がいなくなったら、どうしようもないというわけではありません。

 でも、ふたりいることでしかできないことがものすごいたくさんあるんです。 わたしがいま、「ふたり」ということばを使っている時点で、瑠夏がわたしの隣にずいぶん前からいたわけです。

だからある意味、主語が「I」にならないのは、わたしが立っている場所の横に、必ず瑠夏がいるからなのかなぁと。

そして、瑠夏だけでなく、私たちがなにをするにおいてもそれを応援してくれるひとたちがいるからこそ、主語がWeなのかもしれません。あえて、自分で言おうとしているわけではないんですけどね。 あたまの中を整理したら、きっとそういうことなのかなと思いました。

仁禮彩香さんと斎藤瑠夏さん
仁禮さんと相方でありグローパスのCOOである斎藤瑠夏さん

──斎藤さんもまた特別な存在なんですね。

仁禮:特別、ですね。これは自分たちでも自覚あるのですが、私と瑠奈のコンビネーションはものすごく神ってるんですよ(笑)。

例えば、私が「あれ?」ってテンパったときに、すかさず瑠夏がサポートしてくれることはよくあることです。 でも、2人でプレゼンをするときに、事前にお互いがどこの箇所を担当するとか全く話し合ってないんですよね。

話さなくても、なんとなく分かるんです。だから、PIF(Post quake Innovation Forum)のときに、私と瑠夏が司会という形だったんですけど、どちらがどこを担当するということはざっくりしか決まっていなかったんです。

でも、台本があるかのように当日は進んでいきました。

そのとき私たちはテスト期間中だったから、ふたりで打ち合わせしている時間もなかったので、「いつも通りでいくよー」みたいな感じのノリで当日を迎えたんです。

でも、そんなノリでも、当日できちゃったんですよね。なにか物事がうまくいったら二人で「いえーい」ってハイタッチして終わるんですけど(笑)。瑠夏とのコンビネーションは気持ちいいんです。

──そんな斎藤さんが近くにいたからこそ、主語がIでなく、Weなんですね。

仁禮:おそらくそれは大きいと思います。あと、Iを使わないのは、先ほど言った通りほんとうに多くのひとに助けられたから。

それは、グローパスの仲間はもちろん、家族や応援してくれるひと、それこそ、朝学校に行くときに、たまたま目が合ったらあいさつしてくれたおじさんも、その日わたしに幸せを与えてくれたひとです。

そういうひとつひとつのことが、いまの私を作ってくれている。もちろん、仁禮彩香は仁禮彩香だけど、このわたしをここに立たせてくれている出来事の裏に、本当にたくさんのひとたちがいることを感じるんですよ。

だから、Iじゃなくてweなのかなと。そういうところがあるのだと思います。

仁禮さんが語ることひとつひとつにぼくは共感をした。なぜ、彼女は共感できるビジョンを提示することができるのだろうか?ここまで聞き、思ったことがひとつある。それは、彼女が語ることひとつひとつに必ず相手が存在している。だれかに対して感謝の意を示したり、子どもたちにとってよりよい教育を提供することであったり。どうして彼女の話には相手がいるのだろうか。

 

──仁禮さんのお話のなかにいつも相手がいるのはなぜですか?

仁禮:やっぱり、人が好きだからだと思います。いま、言われて気づいたことなんですけどね(笑)

ひとはそれぞれ幸せに感じることは違いますよね。ただ、わたしの場合は周りのひとが幸せを感じている瞬間を見たときなんですよ。例えば、わたしが誕生日プレゼントを友達にあげたとします。そして、その友達が喜んでくれたら、もちろん嬉しいです。

でも、わたし以外の子がその友達にプレゼントを渡して、プレゼントをあげた子と貰った子それぞれがハッピーになっている状況の方が、なお嬉しいんです。

後者の例は前者に比べて、ハッピーになっている人数が多いじゃないですか。

わたしは、そうやって人が幸せを感じているのを見たりすることの方が好きだし、嬉しくなっちゃうんです。

──ひとの幸せを感じているのを見ることが、仁禮さんにとっての幸せ。

仁禮「私は、あなたのためにやっている」という言葉があると思います。わたしはグローパスが取り組むことを、いつも誰かのためにやっているわけではありません。

結果的に、そのひとの人生に役に立つかもしれないけど、単純に私たちが本当にやりたいことをやっているだけなんですよね。

自分が提示したものに誰かが参加して、そこにいる人たちが満足感を得たり、達成感を得たりしているのを見ると嬉しくなるからやっているんです。

つまり、最終的にひとのためとかではなくて、自分のためにやっていることなんです。で、自分のためになることの先には、いつもひとがいると思うんです。

だから、わたしはグローパスで生まれたアイディアを使って「あなたと、私、そしてみんなで一緒にやろうよ」ということがいつも思っているわけなんですよね。

仁禮彩香さん  

──仁禮さん、ひとに対して嫉妬をすることってありますか?

仁禮:しないですね。

──そういう感情は生まれない?

仁禮:うーん、なんだろうなぁ。

なぜそういう嫉妬が生まれないか分からないですけど…

例えば、わたしに好きなひとがいたとします。そのひとが他の女の子と楽しくおしゃべりをしていて、わたしが嫌な気持ちになることが、嫉妬をしていることだと思うんですね。

でも、わたしの目の前にある事実というのは、私の好きな男の人と女の人がしゃべっている、ということですよね。

そういう事実があるだけで、そこにどういう意味があるのかは分かりません。もしかしたら、二人は付き合うのかもしれないけど、ただ宿題の話をしているだけかもしれない。

その事実が分からないのに、自分が無駄な感情を置くことは論理的ではないと思うんです。無駄というか、何のことか分からないところに自分の感情を置くこと、になるわけですよね。

なぜ、ごちゃ混ぜにしないかというと、そこを割り切れば、すごくシンプルに物事が進んでゆくんです。嫉妬という感情を入れることで、物事を進める上で、あえて困難なものにしてしまうんです。

だって、自分のやりたいことを進めることのが大事なことじゃないですか。わざわざ自分の方にとげを向けたりすることは、無意味だと思うので、嫉妬は私にとってする必要のないことなんです。

──だから、自分と他人を比べたりすることもない?

仁禮:そうですね。もし、わたしが唯一嫉妬するのとしたら、母だと思います。

よく母に「彩香が他の人と違うことを彩香はすごく分かっているのに、なんで彩香とママだけはいつも比較するの?」って言われるんですよ。

だから、わたしがそこを比較しないようになったら、嫉妬という感情を抱くひとはこの世の中にいないですね。いま、なぜ母にその感情を抱くのかなって考えているんですけど…

──僕もお聞きしようと思っていました(笑)

仁禮:まず、感覚的に思うのは母が家族であり、いつも近くにいる人なんです。それゆえに、自分の意識がくもるのだと思うんですよ。そこは、弱い自分だと思っていますが…

わたしは、母以外のひとたちに対して、いつも尊敬したり、ほんとうに素晴らしいなぁと思うことはあっても、それを自分に重ね合わせることはなくて、それは別のものとして捉えることができるんです。

ただ、母はわたしが行きたいと思っている場所にいて、なおかつそこで表現をしているんです。人は、道を作って歩くよりも、目の前に道ができていたほうが楽じゃないですか。

わたしは、なにか物事を始めるときも、目の前に誰かが作った形跡がない道を歩くことが多いんです。例えば、学校を作ったりとか、小学校のときもずっと一期生だった事とか、いつも何かを一番最初に始めていました。それは、わたしにとって、全然苦痛じゃないし、それが好きなんです。

でも、わたしがひとの弱さとして、何かにすがりたくなってしまうときには、母のうしろを歩けば楽だな、と思っているのかもしれません。その弱さというものが、嫉妬という感情を生み出しているのかな、と思います。

──お母さんがいることで、楽な道を選択してしまっていて、それが仁禮さんの弱さ。

仁禮:そうですね。母が目の前に見えるから安心してしまい、そういう弱さが生まれるのだと思います。あの、嫉妬に怒りは含まれていますか?

──入ると思いますよ、僕は。

仁禮:母に対して、怒りはないんですよ。うらやましいという気持ちだけなんです。母ができることに対して一度も怒りを感じたことはないです。

ただ、母がいる場所や表現していることに対して、「あーこういうことを自分ができたらなぁ…」という、母に対する尊敬と羨ましさはありますよね。

──お母さんのようにできないことに対しての自分への怒りはないんですか?

仁禮:ありますね。以前グローパスの大事な取材があったんです。その取材が入っていた日にわたしは、高熱を出したんです。

でも、体調管理は、わたしが色々なことに挑戦するにあたって必要不可欠だし、大事な取材の日であることは、前もって分かっていることですよね。

例えば、何もない日に、高熱をだしても問題ではないと思うんですけど、取材される日がちゃんと決まっていたわけです。

それに対して自分がするべきことは、話すことを準備することはもちろん、気持ちを整えておくことですよね。そのなかに、体調管理っていうところも絶対含まれている。

でも、わたしはそこをすっぽかしているわけですよね。

そのときに感じた感情は、「どうしてこんな大事なときに体調管理を怠ってしまったのか?」という怒り。そういうときは、一瞬怒りを自分自身に向けます。

でも、感情と事実は別にしなければならないから、すぐに、

「いま、私は怒っています。何に対して怒っていますか?大事な取材の前に休んでしまった自分に対して怒っています。でも、怒っている自分は、怒り続けることで何かを解決できるか?というと、しません。じゃあ、怒りという感情は取り除いて、今度はこれが起こらないためにはどうすればいいですか?」

と自分と会話するようになるんですよ。

だから怒りの感情は一瞬生まれるけど、事実とは永遠には結びつかなくて、すぐに感情と事実を離す。もし離すという行程に5分かかるとしたら、5分間は怒っていると思うんですけど(笑)人間だから、感情は生まれることはありますけど、すぐ整理できるようにはしてますね。そんな感じです。


ここまで、仁禮彩香さんの「いま」と、相方の斎藤瑠夏さん存在について聞いた。そして、【後編】では、CEOとしての苦労や仁禮彩香のこれからについて語ってもらった。

【後編】私、16歳のCEO。〜これからのリーダーとわたしのこれから〜

インタビュー・編集:馬岡祐希
写真撮影:高橋創
写真加工:佐藤宏樹