それでも、伝えたい”想い”が私にある 「沖野のぞみさんインタビュー」


東日本大震災。この震災に高校一年生の時から3年間かかわり続けている愛知県のひとりの少女がいる。彼女の名前は、沖野のぞみ。

高校一年生の時に、愛知ボランティアセンターを通じて、毎月東北に訪れ、ガレキ撤去や子どものケアなどのボランティアを始める。

高校二年生では、震災に関心がないひとに興味を持って貰うために、新規商品開発を行う。そして、地元の名古屋で開催された江南市民祭りでその商品「牛タンラーメン」を完売させる。

さらにその功績が認められ、全国でボランティア活動に励む学生を表彰する「ボランティアスピリットアワード」にて、文部科学大臣賞を受賞し、数ヶ月後には、愛知県の高校生30名を率いて、東北に連れていくスタディーツアーを一人で企画・立案し、実施した。

そんな沖野さんの高校一年生と高校二年生の2年間の物語は、東日本大震災 8巻「伝えなければならない100の物語⑧広がりゆく支援の輪」に収録されている。

今日ここでは、その彼女の物語のつづきと、そのとき語られなかったことについてきいてみた。そして、3年間東北に関わりつづけた沖野さんは今、なにを想うのだろうか?

──東日本大震災から3年が経ちました。沖野さんのように、東北に関心を持ち、活動しているひとがいる一方で、東北に関心を持てないひとがいると思います。その違いはいったい何でしょうか?

沖野:友人とその事について議論しましたが、結局その違いはよく分かりませんでした。

でも、わたしが東北のために活動を始めたきっかけは、出身が仙台で、祖父母が福島に住んでいただけのことなんです。 自分は愛知県に今いますけど、ルーツは東北だと思っていますし、東北の人がすごい好きだから「何かしなきゃ!」と思い、色々と活動を始めました。

一方で、東日本大震災のことでなにもしていないひとの気持ちも分かるんですよね、わたし。震災にあまり興味が持てないことであったりとか、震災のことを忘れていってしまうことはある意味納得できています。

なぜなら、私自身、3.11が起こるまでは、日本でこれまで起きた震災のことに対してまったく関心を持てていなかったからです。たとえば、阪神淡路大震災とか。

今回の東日本大震災の事もただ私が東北出身であるから、という事がきっかけなんです。だからわたしの周りのひとたちが復興支援のボランティアなどに関わっていないことに対して納得がいくんですよ。

──納得しているとはどういうお気持ちですか?

沖野:そうですね、一番最初に思った事といま感じていることは違うんですよね。震災があって一年経った2012年の3月11日に、愛知ボランティアセンターで、震災の1周年追悼イベントを名古屋で開催することになりました。

そこで友人を誘おうと思ったのですが、友達から「3月11日ってなんの日だっけ?」と言われたんです。そのときは、衝撃的で「なんで東日本大震災のことを忘れているんだ!」という少し怒りに似た感情でした。

でも、いまは怒りというよりも寂しいなと思う気持ちが大きいです。というのは今回の東日本大震災では、阪神淡路大震災から学んだ事がとても多かったんです。

例えば、阪神淡路大震災の際、救援物資として届けられたなかに中古のボロボロの衣服があって、物資の配給の妨げとなったり、使えない物資の処理に困る等の失敗がありました。その失敗を生かし、東日本大震災では多くの団体が新品限定で物資の募集を行ったんですね。

また、スムーズに配給が行われるようにサイズや用途別に物資がラベリングされる配慮がありました。前の震災から学んで今回の震災に生きたことはたくさんあるんですよ。だからこそ、東日本大震災のことをみんなが少しづつでいいから忘れないようにすることが大事だと思っています。

そうすることで、今後起こると言われている南海トラフ大震災などが起こったときに、一人でも多くの命を救えたり、一人でも避難生活をよりよく過ごす事ができます。せっかくそんなことを知る機会が『いま』あるのに、みすみす忘れていくという現状が哀しいなぁと。ですので、私にできる範囲でいいので、できる限り伝えていきたいという気持ちがあります。

──怒りから哀しさに変わった。

沖野:何かがあったから感情が変化したわけではないんです。あるとき防災に興味があって、防災の本を読んでいた時がありました。そこで初めてこれだけの災害が日本で起きていたと認識したんです。阪神淡路大震災や新潟中越地震、関東大震災など、今まで様々な自然災害が日本ではありました。東日本大震災があるまで、震災や自然災害に対して私はまったく興味を持っていなかったんです。

そう考えると、私も3.11が起こるまでなにもしてこなかったのに、東日本大震災があった事を忘れかかっている人たちに一方的に怒るのは自分のことを棚にあげてるなぁと。

なぜなら、自分も東北に被害がなければ、何も動いていなかったし、たまたま自分が東北出身だったから動いたんですよね。だから、一方的にみんなの事を責めるのはなんか違うなと思っています。

沖野のぞみさん

──沖野さん自身、この一年間で変わったなと思った出来事はありますか?

沖野:大きく変わったなと思ったのは、SFCのAO入試ですね。

SFCの入試は一次試験と二次試験があります。一次試験は、書類審査で、二次試験は面接です。幸い一次試験は通過しました。わたしは、二次試験の面接で今まで取り組んできたことを話したのですが、教授からこう言われました。

君が今までやってきた事は、やりたいことを全力でやってきたように感じるけど、そういうことに対して引いちゃう子もいるかもしれないよね。

そもそもSFCの志望理由書に何を書いたかというと、中高生が何かやりたいことを見つけたときに社会人の講師の人を斡旋できるような制度を中学校・高校に作りたいと書きました。その志望理由書を見た教授からさらにこう言われました。

きみがたくさんの活動をやってきた中で、多くの大人から助けてもらい、それに対して感謝しているのはすごく感じる。でも、君を支えてくれたひとは、すべての頑張る高校生を支えたいわけではないよね。

あなたを応援してくれたひとは、君だから協力してくれたんでしょ?だから社会人の斡旋制度を作った所で、ひとりひとりの生徒にいく想い入れみたいなものを作るのは難しいよね。

その言葉にすごくハッとして。

──なぜ、ハッとされたのですか?

沖野:私は、確かに多くの大人の方に応援してもらいました。そのひとたちが私を応援する理由は、ただ単に頑張る高校生が好きであるからと思ってたんですよ。もちろんそのことも間違いではないと思います。

でも実際にSFCの教授にそういう事を言われて考えてみると、大人の方は「沖野のぞみ」だから応援してくれたのかな?と。

そう考えるとたとえば、発想力もあって行動力もある人がいたとしても、そこに応援してくれる大人や環境がなければ、やりたいことができない人もいるのかな?と気にするようになり、やりたいことをやっていない人に対して、「なんでやらないの?」とあまり強く言わなくなりました。

通い続けたからこそ応援してくれるひとが現れた

──協力してくれた大人の方々は沖野さんのどんな姿を見て応援してくれたのだと思いますか?

沖野:いちばん最初に私を応援してくれた大人の方は、愛知ボランティアセンター(現:NPO法人)で交流したひとたちです。高校一年生の時は、愛知ボランティアセンターを通じて、東北に行ったり、震災一年の追悼式などを行いました。愛知ボランティアセンターは、訪れるひとの年齢の幅がとても広いです。80歳のおじいちゃんがいると思ったら、小学生の女の子もいます。

でも、性別や年齢や職業などはまったく関係なく、対等なボランティア仲間、というような関係性がそこにはありました。私はそこにいる大人の方に対して年上のひと、というような感覚はなく、友達のような感覚で接していました。

そして、高校二年生になって、「こういう事をやってみたいなー」と周りのひとに相談したところ、私に協力し、応援してくれるようになりました。

たぶんそれは、私がずっと愛知ボランティアセンターにコツコツと行き続けていたからこそ、大人の方に協力して貰えたんだと思います。通い続けていたから、その姿を見て、私を応援してくれる人が現れたのかなと。

──ご自身が今までやってきたことは『ボランティア』なのでしょうか?

沖野:どうなんでしょう。そもそも多くのひとのボランティアのイメージは、無償で見返りを求めずに何かやることだと思います。 でも、宮城県の石巻市にいま行ったら、有償ボランティアということばがあるんですね。これは私の感覚ですが、ボランティアの定義は徐々に変わってきているのではないかと感じています。ボランティアの語源は、英語で、『自発的に何かやること』です。

でも、日本にボランティアという言葉が来たときに意味が変わってしまったのだと思います。

いわゆるボランティアというと、ゴミ拾いや無償奉仕というイメージが強いですが、実際のボランティアは私はそうではないなと思っていて、震災があってからボランティアということばの意味が徐々に変わってきていると感じています。私がずっと関わらせていただいているボランティアスピリットアワードの話をさせてください。

そこで賞を受賞したひとは、単に無償奉仕をひたすらコツコツやっていたひとではありません。むしろ、自分で何かを発想し、創造しているひとが受賞者のなかにはいました。

例えば、それまでになかったシステムを創ったり、新しくプロジェクトを立ち上げているひとたちです。私はそういうひとたちが取り組んでいることもボランティアと呼んでいいと思っていますし、そういったこともボランティア活動になってきているのだと感じています。

ボランティアスピリットアワードにて文部科学大臣賞を受賞写真
ボランティアスピリットアワードにて文部科学大臣賞を受賞する

──ちなみに、今取り組んでいることは何ですか?

沖野:ESD YOUTH INITIATIVEというイベントの副実行委員長を務めています。ESDとは今年の11月に開かれる国連主催の世界会議のことです。

会議の趣旨は、”いかにして持続可能な社会を作っていくか”です。 世界の国務大臣クラスのひとが1000人ほど集まって名古屋で会議をするのですが、その会議自体の存在自体があまり知られていません。 ユネスコが名古屋で10年ほどかけてESDの会議を企画し続けているのにも関わらず、名古屋の若者は全然知らない。

ならば、これから持続可能な社会を創るには、若者をESDに取り込んでいくべきではないか、という想いがあり、ESDの10代版の会議をつくろと、仲間と一緒に企画した会議がESD YOUTH INITIATIVEです。

そもそも、ESDには、環境、エネルギー、国際理解、防災、文化財、気候変動、生物多様性、その他の8つの柱があります。 それら全部をまとめてどうやって持続可能な社会を作っていくか?と考える会議がESDです。

一方で、ESD YOUTH INITIATIVEは、ESDの8つの柱すべてを取り入れるのは難しいので、国際理解と復興・防災だけに絞り、そのなかで持続可能な社会とはなにか?と考える会議です。私はその中の復興・防災の企画統率を務めています。

──そこで実現したいことは、復興や防災のことを広めることですか?

沖野:広めるというよりも、中高生に知ってもらいたいという想いがあります。東北の復興のために活動している団体はたくさんあるんですよね。10代の10代による東北支援を行っているTeen for 3.11や石巻でユーストリームの番組を作っているくじらステーション、それからteam neighborなど。そういった活動はすごく意義があると思うのですが、あまり愛知の中高生に知られていません。

だからこそ、私は知ってもらいたいと思っています。 防災に関しては、学校で避難訓練をやりますが、いつも授業中が想定です。

ですが、地震や自然災害は、いつどこで起こるか分からないので、あらゆる場面を想定しなければなりません。だからあまり知られていない防災のことをみんなに知って貰えればと思い、ワークショップなどの企画に取り組んでいます。

──なるほど。いま取り組まれている活動をボランティアと周りのひとは言うのでしょうか?

沖野:ボランティアと言われる事が多いですし、特に父がそう言いますね。そもそも私が取り組んでいる活動を両親があまり賛成していなく、以前父からこのようなことを言われました。

ボランティアは所詮ボランティアで、プロではなく、アマチュアがやることで、プロの残りの仕事をやるものだとおれは思ってる。NPOやボランティアは、特に専門技術はいらないし、本当に復興の力になれることは本当に少ない。

だからのぞみはボランティアを卒業して本当のプロになれ。震災のことで何かやりたいのであれば、自分で何かしらの技術を身につけてからにしろ。

その考え方はひとつあると思いますが、私はボランティアの方々がやっている事は決して無意味ではないと思っています。なぜなら今回の東日本大震災で、ボランティアの方やNPOがやってきた仕事がなければ、いまの東北は絶対に存在していません。

だからぜんぜん無価値なものではないし、父の考え方が絶対に正しいとも思わないです。もちろん、私自身、専門知識が足りない所はあるので、大学に入学し、そこで勉強して、何かしら自分だけの技術を身につけたいとは思っています。

わたしは、所詮高校生。

──以前、ご両親から「何もできないあなたが復興支援に携わる必要性はなに?」と言われたことに対して、『ただじっとしてられないんだよ』と答えられたと聞いたのですが、じっとしていられないとはどのような感覚ですか?

沖野:「何かやらなきゃいけない」そんな感覚です。義務のようなものではありません。私も東北出身なので、自分のルーツがある場所に何かすごい貢献したいという想いがあります。

でも、一方で、父が言うように私は「所詮、高校生」なんですよ。お金が特にあるわけでもないし、自分の力で生きているわけでもなく、なんだかんだで親に養ってもらって生きているわけです。最近感じていることですが、高校生が社会の役に立つことは、本当に難しいことなんです。それは分かってます。

なぜなら、私ひとりが東北のために動かなくても、復興は進むし、仮に私が動いても、復興の加速度は本当に微々たるものなんです。 だけど、それでも、自分がやらなくていいやとは思わないし、今、やらなきゃいけないと強く感じています。

沖野のぞみさん

──その今やらなきゃ!という想いは”東北を復興する”ということですか?

沖野:復興ということばはすごくあいまいで、定義はひとそれぞれだと思っています。たとえば、街が再建されれば、東北が復興したということにはなりませんよね。産業を盛り上げたら、復興するか?と言っても、ひとが帰ってこないと盛り上げることはできない。

ですので、なにが復興なのか?ということはだれも見えていないのではないでしょうか。私も自分の中で復興ということばの答えは、見つかっていません。

でも、いま自分になにができるか?と考えたときに、いままで自分が東北で見てきたこと・感じたことを周りのひとに伝えたり、自分がいまいる場所で、復興や防災のことを伝え、みんなと一緒に復興について考えていく事が私の役割であると思っています。

──伝えていくことが沖野さんの役割。

沖野:もちろん”東北のために”伝えたいという想いはあります。

でも、いつ自分たちの身に地震や自然災害がふりかかるかなんて誰にも分かりません。そのときに東日本大震災があったということを少しでもいいから思い出して、次に震災があったときに、ひとりでも多くのひとを助けることができれば、と思っています。

もし、これから大きな地震や災害があって、東日本大震災の事を知らなくて、生き延びることができなかったひとがいたら、今回の震災で亡くなった方々が浮かばれません。だからこそ、今回の震災から学ぶ必要があるのだと強く感じています。

ですので、ただ単に東北の復興のためというよりも、次の震災があった時のために、東日本大震災のことを伝えていきたいなという想いが大きいですね。

──その”想い”を伝えたい相手はどんなひとですか?

沖野:そもそも、「東北のことを伝えたい!」と初めて思ったのは、友達からのある一言でした。2012年の3月11日に愛知ボランティアセンターで震災の1周年追悼イベントを名古屋で開催することになって、それに友達と参加しようと思いました。そのときに友達に声をかけたら「3.11ってなんの日だっけ?」と友達から言われたんです。そのとき愛知県に震災の風化を感じたんです。

その数日後に学校の先生から、「保護者会で、30人の親御さんが来るから、ボランティアの話をしてみないか?」という誘いがきました。「誰かに伝えたい!」と思っていた時期だったのでその誘いを受けることにしました。

そこでお話を聞いてくださったお母様から講演する場所を紹介してもらい、何度か講演をする機会がありました。学校でも土曜講座という、生徒が自由に講座を出して、好きな授業がとれる授業があり、私は、そこで生徒に向けてボランティアの話であったり、震災の話をしました。

そこで感じたことは、震災の話は重い、ということです。

というのも、講座や講演は震災に興味・関心があるひとは来ますが、震災に興味がないひとは、来ないんですよね。 私が伝えたかったひとは、「震災は他人事だし」「3.11ってなんだっけ?」という人々なんです。

だから、講演や講座では私が伝えたいと思った相手がそもそもいないので、非常に難しく感じました。

──伝えたい相手は、震災にあまり関心がないひとたち。そのひとたちに対して伝えたい想いは伝わっていますか?

沖野:伝わっていると思います。このことを話すたびに泣いてしまいそうになるのですが、2013年3月の春休みに愛知県の高校生30人を連れていく1泊4日(車泊が2日間)のスタディーツアーを実施しました。

この30名のうち約半分の高校生がわたしの出身校の滝高校からの参加者でした。そもそも滝高校は、いわゆる進学校と呼ばれるところで、勉強以外に興味がないひとたちが大半です。ツアー企画の構想をしていたとき、私は滝の子にこそツアーに参加してもらいたいなと思っていました。

なぜなら、私が、伝えたいと思っていたターゲットそのものだったからです。

ツアー初日の朝にバスの中で参加者の方に自己紹介をして貰いました。それぞれに、参加しようと思った理由を述べてもらったのですが、びっくりするようなことを言うんですよ。

「おいしい魚を食べたくて来ました」、「彼氏にフラれたんで失恋旅行で来ました」とかさらには「沖野にむりやり連れられて来ました」とか。

行きのバスでは、そんな事を言っていたのですが、帰りのバスの中ではみんな泣きながら、「心から来てよかった」「ここに来て感じた事をもっと色んな人に伝えたい」「今までは将来何をやりたいとか全然決まっていなかったけど、ツアーに参加してやりたい事が決まった」と、話してくれました。そのとき、ツアーに参加した高校生全員が震災や復興のちからを感じ、成長して帰ってきたんだなあと、感じました。

ツアーでの集合写真
スタディーツアー参加者との集合写真

──なぜ高校生は変われたのですか?

沖野:ある方が怒ってくれたことがきっかけですね。ツアーのプログラムは、ワカメの収穫体験をしたり、防災のあり方について語り合ったりする内容となっていました。

そして、今回のツアーのゴールは、参加者が班に分かれ、班ごとで自分たちなりの復興について考えるということでした。

ですので、初日に様々な被災地と呼ばれる場所に訪れ、震災を期に新しい事業を立ち上げたひとのお話を聞き、その日の夜にワークショップをして、発表することになっていました。

でも、高校生が50人も旅館で集まってワークショップをやるとワイワイするんですよね。

少しふざけた雰囲気になり、発表も浮ついたような発表になるんです。 それに対してツアーをコーディネートしてくださった復興応援団の代表の佐野さんが次の日の朝(2日目の朝)のバスの中で、真剣に私たちに怒ったんです。

おまえらは、愛知の遠いところから30人も来て、わいわいするためだけにここに来たのか?違うだろ!俺はみんなに熱い東北を知ってほしいし、真剣に震災の事を考えてほしいと思う。だから本気で君たちのことを怒るし、たとえ俺は君たちに嫌われても、君たちに東北のことを本気で考えてもらいたい。

滝高校の人たちは、お嬢様やおぼっちゃんが多いんですよ。今まで両親の元で「いい子、いい子」と育てられて、親以外の人に怒られる経験があまりなかったんです。

だからこそ佐野さんが真剣に怒ってくれたことで、みんなの心が一気に熱くなったんです。それで、佐野さんが帰る日に一言づつなにか言おうということになりました。

「自分たちは高校生で、子どもだからと大人に甘く見られてきました。しょせん高校生としか自分を見ていなかったです。でも、佐野さんは俺らを対等に接してくれて、俺らのことを真剣に考えてくれたからこそ、あれだけ熱く怒ってくれた。自分たちにこれだけ真剣になってくれる大人がいてくれてすごい嬉しいし、とても感謝しています」とみんなで言ったんです。

あのときに、佐野さんが本気で怒ってくれたからこそ、とてもいいツアーになったのだと思います。

──沖野さん自身は、佐野さんのことばをどう受け止めたのですか?

沖野:ツアー初日の自己紹介のときは「こんなもんだろう」と、心のなかで思っていたんですよ。ワークショップのときも、滝高校の子はそういったことをあまり体験したことがないので、少し浮ついてしまうのは「まあいいか。しょうがないかな」と彼らに対して譲歩していました。

でも、佐野さんが「そんなんでいいわけないだろ!本気でやれよ!」と言ったときに、「あぁ、わたし、情けないな」と思ったと同時に、なんで佐野さんを怒らせてしまったんだろうと思いました。

参加者が高校生だから「しょうがない」と思うのではなくて、高校生なら高校生の本気を出さないといけないんです。ですので、そこから、もっと「本気でやろう!」と思うようになり、まわりのみんなに本気でぶつかっていきました。

──このツアーを終えてみて、「いま」なにか感じるものはありますか?

沖野:実は、ツアーを実施する前に、1ヶ月〜2ヶ月ほど、周りのひとからたくさんのバッシングを受けました。お世話になっていた議員さんから、ツアーへの想いの方向性の違いで衝突してしまったんです。 そのあとに、議員さんがホームページやフェイスブックに私についてあることないことを書いたんですよね。

そうしたら、ネットで炎上したり、ほぼ毎日嫌がらせのメールが来たり、電話で罵声を浴びせられたりしました。 その時期は、本当に病むくらい悩んでて、「本当にツアーをやっていいのか?」と、ずっと毎日自問自答していました。

でも、ツアーが終わってから参加者のみんなが「参加してよかった」,「参加したから自分が変われた」と言ってくれたので、何かしら、各々がツアーを通じて感じてくれたことはあるのだと思います。

もっと嬉しかったことは、私のツアーに参加してくれた後輩が、「のぞみ先輩のツアーに参加して私もなにかやってみたいと思いました。のぞみ先輩は受験で忙しいと思うので、私がツアーの第二弾を企画します!」と言ってくれて、2013年の8月にスタディーツアーを出してくれました。

今度はその第二弾のツアーの参加者が第三弾のツアーを出します!と言って、3月28日に第三弾がでます。わたしの意志を受け継いで、第二弾、第三弾を企画してくれた子が出て来て本当によかったなと感じています。

江南市民祭りにて牛タンラーメンを販売江南市民祭りにて牛タンラーメンを販売。詳しくは、東日本大震災 8巻「伝えなければならない100の物語⑧広がりゆく支援の輪」にて

──スタディーツアーは1人で企画されたのですか?

沖野:本当は、牛タンラーメンに関わってくれたメンバーと一緒に企画をするつもりでした。

というのは、牛タンラーメンのプロジェクトが終わったときに、牛タンラーメンの収益をどうするか?ということをメンバーに聞き、そこで、わたしが元々スタディーツアーを企画したいと思っていたことをみんなに話すと、みんなが「いいね、やろう!」と言ってくれたんです。

でも、牛タンラーメンに関わったメンバーは、二年生が多く、受験に追われることになったんです。メンバーも東北に本気でなにかしたい!と思っているひとは少なくて、どちらかというと、楽しいことを一緒にやりたいというひとが大半でした。

だから、受験がだんだん近づいていくにつれて、「受験勉強に本腰入れるから、ツアーの企画までは一緒に出来ない」と言われ、ツアー企画はほとんどひとりで取り組むことになりました。

2人の仲間がいたから頑張れた

──仲間が離れ、信頼してた人から叩かれ、二重苦だった当時、ツアーを企画するだけでも大変なのに、なにを支えとして毎日を過ごされていたのですか?

沖野:12月にボランティアスピリットアワードの全国表彰式で、出会った2人の仲間が心の支えとなりました。彼らは、実際に被災し、家をなくしたひとたちです。そもそも、ボランティアスピリットアワードまで、わたしは愛知県内で活動している事が多かったので、他の県で活動しているひとを全く知りませんでした。 色んな事をやっている二人に出会って、そこで、ツアーの話を二人にしました。

「こういうスタディーツアーを組みたい」と思っていると。

そのときに、議員の方からバッシングされているという話もふたりに打ち明けました。 そのとき、気にかかっていた事は、「君がやろうとしていることは被災者への冒涜だ」と議員の方に言われたことでした。

でも、そのひとは、一度も被災地に足を運んだことがないひとだったんですね。 だから「あなたに東北のなにが分かるんだ!」という想いがある一方で、「わたしが企画しているツアーは遊びなのかな?」という想いもありました。

でも当時それを話せるひとがいなかったんですよ。 それに対して、彼らは、こう言ってくれました。

「東北を忘れられている時期がきているし、ツアーを遊びだと全然思わない。むしろ東北をいっぱい見て、知ってほしい」

もちろんすべての東北のひとがそのような考えを持っているわけではないと思います。実際に県外のひとが東北に来て、嫌だと感じるひとはいるでしょう。

でも、彼らがそう言ってくれたので、そうやって思ってくれる人もいるのだから、ツアーの企画をやりきろうと。さらにその二人が「うちらも協力するから」と言って、スタディーツアーに必要な宮城県の高校生20人を集めてくれたんですね。

だからこのツアーは、私一人で出来たことではないんです。ボランティアスピリットアワードであのふたりに出会えたからこそ、やり遂げることができたと思っています。あそこであのふたりに出会わなかったら、今のわたしは絶対にいません。

ボランティアスピリットアワードで出会った2人の仲間
ボランティアスピリットアワードで出会った2人の仲間

──心が折れそうになったときに、仲間が支えてくれたんですね。

沖野:ほんとうにそうだと思います。ばか騒ぎできる友達は学校にいますが、真剣に自分の想いを聞いて、支えてくれるひとはいなかったんです。自分が行き詰まったときに自分を支えてくれていたのは、東北の仲間たちでした。私が東北のために何かしたいと思って始めたのに、いつの間にか彼らに支えられて、立場が逆転していました。彼らは、わたしのことをただの支援者だと思っていません。そうではなく、同じ活動をしていく仲間だと思ってくれています。

だからこそ、そういう仲間に出会えたのは幸せだと思うし、いつの間にか仲間から戦友になっていたのかもしれません 逆に彼らも行き詰まったことがあったら私にすぐ電話をしてきます(笑)。愛知と東北は、距離的には遠いけど、心理的にはすごい近いと思っています。

柏峻平さん

柏峻平さん

──ボランティアスピリットアワードで出会った柏峻平さんに沖野さんがどんな人物か聞いてみた。


柏:
初めて会ったときは、すごい子って感じでした。自分のやっている活動に自信があって、前に突き進むような子だと思っていたのですが、実際にお互いのことを話してみたら普通の女子高生という感じだったので、ギャップがありましたね。

僕が思う彼女の魅力は二つあると思っています。一つは、切り替えができること。

たとえば、SNS上の、のぞみちゃんは、The優等生という感じです。自分の取り組む復興支援活動についてツイートしたり、自分の意見を述べたりしてますけど、素の彼女はぜんぜん違うんですよ。この間も、サプライズで誕生日をみんなで祝ったら小学生みたいに号泣してましたし(笑)

もう一つの魅力は、思いついたらすぐ行動する子なんです。だから、あと先考えずに動くんですよね。

それも彼女の魅力なんですが、自分のことを全然考えてなくて、相手のことばっかり考えているから、疲れちゃって立ち止まってしまうときがあるんです。それがのぞみちゃんだと分かっているのですが、ぼくはどうしても心配してしまうんですよね。

──最後にお聞きしたいのですが、そんな東北と沖野さんの関係はどんな関係性なのでしょうか?

沖野:東北は、故郷という感じですね。東北に『行く』というより、『帰る』という気持ちの方が強いです。

私は、石巻出身ではないのですが、石巻に着くと「帰ってきたな」と思うし、石巻にいる仲のいい友人に会ったら、まだ出会って1年近くしか経っていないけど、ずっと一緒にいた仲間のような感覚があります。まるで幼なじみのような存在で、他の地域との想い入れはまったく違います。

もちろんいま住んでいる江南市は地元ではあります。でも、私が江南市に来てからだいたい6、7年くらいなんです。江南市に自分のルーツがここにあるという感じはしません。それは、私が通う高校に関係しているんです。滝高校は、名古屋から通学している子や県外から来ている子たちがすごく多いんですよ。なので江南市から通っている地元の子が全然いないんです。

だから、すごく仲がいい友達が石巻にいるのですが、その子が「石巻は俺の地元だから」と言っている姿を見ると羨ましいなって思っちゃうんですよね。

この間、友人の家がある石巻で年越しをして、夜ご飯にお雑煮が出て来てきました。そのお雑煮が、実家のお雑煮と似ていたんですね。というのは、出身が東北ということもあって、実家では東北の料理がたくさん出るんです。

なので、石巻で出たお雑煮がわたしの家のお雑煮と一緒だったときに、「わたしのルーツはここだったんだなぁ」と感じたんです。だからこそ、わたしはこれからも東北に関わり続けていくのだと思います。

インタビュー・編集:馬岡祐希
写真撮影:友永創介

編集後記

「沖野のぞみさんのインタビューを終えて」

−沖野さんにインタビューすることになった経緯や裏話など

【インタビュイーの軌跡】沖野のぞみさんのその後

−インタビュー後の沖野さんの活動についてなど

その後の沖野さん

【#01】 TOMODACHI女子高校生キャリアメンタリングプログラムメンター就任(2014年8月)

【#02】慶應義塾大学SFC ORF2014にて登壇(2014年11月)

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